当時毎日のように一歳の子どもの姿をカメラで追っていて、ふとあることに気が付いた。子どもが過ぎていくものを見つめているということ。つまり子どもは大人よりサヨナラしているのではないか。 大人になるとサヨナラは形骸化する。そんなだからたまに本物の別れに出会うと格別なものがある。痛恨の極みである。もう二度と会えない。子どもたちは二度と会えないとは考えなくても、全力でサヨナラしているのである。 一歳の息子は何か悟っているような大人びた顔をする。子守をしている僕に、みんな大丈夫と励ましてもらっているような気がした。息子のおかげで、いや、息子と一緒にそんな思いを込めた作品を手にすることができた。
『サヨナラ、いっさい』是非ご覧ください。 コメントの受け付けは終了しました。
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